1994.01.29論文『パーヴェル・フィローノフ絵画理論研究序説(要旨)』
パーヴェル・フィローノフ絵画理論研究序説
― 分析的芸術論と作品にみられる彼の世界観に関する一考察 ―
(Abstract_要旨)
柴田 俊明
パーヴェル・ニコラエヴィチ・フィローノフ(1883-1941)は、ロシア・アヴァンギャルドの重要な作家のひとりであるにもかかわらず、世界的にその知名度は低い。わが国でもここ近年、ロシア・アヴァンギャルドに対して関心が深まりつつあるにもかかわらず、その中で彼をとりあげる研究者も皆無である。その大きな理由として、旧ソ連におけるフィローノフとその作品に対する無知と無視が存在する。それには様々な原因が挙げられるけれども、何よりも1934年の社会主義リアリズム路線の採択にみられるような、ソヴェートの間違った文化政策によるところが大きいと思われる。
フィローノフはその絵画作品だけでなく、その理論を文章化したものである多くのマニフェスト(*1)を残した。フィローノフに限らず、作家の言葉は過去に多く残されているし、研究もされてきた。しかしフィローノフのマニフェストは理論と呼ぶにふさわしいものである。フィローノフはレオナルド以来の、絵画を学問として追究し、その普遍的内容に行き着いた希有の存在であると思われる。彼の創作理論の中には、あらゆる時代のあらゆる創造的な仕事にたずさわる人間に共通する、ひとつの真理をみつけることができる。本研究では、筆者自身、創作にたずさわる者のひとりとして、すなわち作家の立場からフィローノフの作品と理論を明らかにしたい。また、このような視点での研究こそ重要な意義をもつことであると考える。
フィローノフに関する先行研究については、ロシア・アヴァンギャルドの復権と世界的認知に貢献したひとりであるジョン・E・ボウルトによってなされたものが最も重要なものであろう。ボウルトは、ニコレッタ・ミスレルと共著の形で、その研究を”Hero and His Fate(*2)”にまとめている。そこではフィローノフという未知の作家を世界的に紹介、評価しており、フィローノフの理論的業績であるマニフェストの数々の英訳を掲載している。本研究の資料としたマニフェストもここから翻訳したもので、テキストは基本的にはボウルトの英訳に従った。
しかし、ボウルトのフィローノフに関する研究は、内容的にみてフィローノフのロシア・アヴァンギャルドにおける位置づけから、その個々の作品論に至るまで、作家的視点からの評価に欠けたものであり、同時にフィローノフのマニフェストにみられる絵画理論の普遍的重要性に気づいていない。
一口にフィローノフの研究といっても、その内容は極めて多岐にわたり、その全てについて論ずることはわずかな期間では到底不可能である。そこで本研究では、フィローノフ・分析的芸術理論に欠くことのできない重要なマニフェスト、「つくられた絵画(*3)」、「『世界的開花』宣言(*4)」、「分析的芸術の基礎原理(*5)」の三篇および、分析的芸術理論の要約である「分析的芸術のイデオロギー(*6)」をとりあげ、論ずることとした。
フィローノフのマニフェストの論拠となっているものは何か。結論から言えば、それは弁証法的唯物論である。多くのロシア・アヴァンギャルドの作家達が、当時のロシア革命に影響を受けていたように、フィローノフもそうであったようだ。しかし、ここで言っておかねばならないのは、弁証法的唯物論を芸術の領域に持ち込んで成功している作家は他には余り例をみないということだ。なぜなら、芸術家に限らず、多くの知識人の間で、弁証法的唯物論は正しく理解されていないからである。ボウルトは、フィローノフには芸術以外の教育がなかったと断定しているけれども、仮に独学であったにせよ、筆者はフィローノフの弁証法的唯物論の習得は明らかであると考える。フィローノフは作家としての活動を通して、世界観としての弁証法的唯物論の方法と具体性と真理性を―芸術の領域で ― 実践的に示しているのである。
本研究では、第一章でフィローノフの理論的業績であるマニフェストを分析、検証し、そこで、彼がたびたび繰り返している「つくりもの性」、「世界的開花」、「多次元的絵画」、「直観的分析」といった分析的芸術の主要概念を明らかにした。同時に、その「分析的芸術」の哲学的基盤が、弁証法的唯物論にあるということを立証した。第二章ではマニフェストで示された主要概念を彼の実際の作品の中でどのように表れているか、筆者自身の制作と体験を関連させながら考察することにした。筆者の個人的体験や見解を表に出していくことには批判もあろうと思われる。しかし、芸術における創作行為という、ある意味では極めて個人的な営みを考察する場合、研究者の制作者としての視点を露にすることによって、問題の本質が浮かび上がってくるのではないかと考えている。そして、第三章では、美術教育を美術と社会との接点に生まれるものと考える立場から、自らマニフェストを社会に向けて発表するという姿勢そのものについてや、マニフェストを美術教育的に考察すると共に、そのマニフェストを実際に教育に用いたことなど、フィローノフの教育活動の重要性とその実践における限界を明らかにし、フィローノフの作家活動の社会との関連を考察した。
しかし、今回の研究において明らかになったことは僅かである。まだまだ検討すべき資料を手元に残したままこの論文を終えなければならないのは残念である。しかし、この論文を第一歩として、引き続きこの研究を継続してゆきたいと考えている。特に、美術教育をテーマにしたマニフェストの分析については次の機会に明らかにしたい。
目次
序論
1・本研究の問題意識と目的
2・先行研究について
3・問題の所在
4・研究の方法論
第一章 マニフェストの分析
第一節 マニフェスト「つくられた絵画(1914)」について
・「つくりもの性」の理念
・ロシア芸術と「つくりもの性」
・ドローイングの復権
・作家宣言
第二節 マニフェスト「『世界的開花』宣言(1923)」について
・立体主義批判
・「ふたつの述語」と「無数の述語」
・ロシア芸術の独自性とその「衒学化」
・世界的開花と自然主義
第三節 マニフェスト「分析的芸術の基礎原理(1923?)」について
・直観と知性
・内容と形式
・リアリストの形態の意義
・分析的な自然主義の基本原理
・分析的緊張と極限の忍耐力
第四節 マニフェスト「分析的芸術のイデオロギー(1930)」および総合的考察
・「原子論的」構造と「完全性の原理」
・フィローノフの造語が示す弁証法的唯物論
第二章 作品分析―マニフェストと作品の関係
・男と女(1912-13)
・ペトログラード・プロレタリアートの公式(1920-21)
第三章 フィローノフの作家活動と社会との関連―美術教育的考察
第一節 美術教育的視点からみたマニフェスト
第二節 フィローノフの教育論と「分析的芸術の作家集団(フィローノフ学校)」
結論
・弁証法的唯物論と分析的芸術
附録資料 (各マニフェスト邦訳)
・つくられた絵画
・「世界的開花」宣言
・分析的芸術の基礎原理
・分析的芸術のイデオロギー
文献目録
人名索引
図版資料
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註
(*1) манифест, manifesto. 宣言文、声明書。
(*2) Misler, N. and Bowlt, J. E. “Pavel Filonov: A Hero and His Fate” Austin, Texas, 1984.
(*3) ”Сделанные картины”, St. Petersburg: Intimate Studio of Painters and Draftsman, 1914.
(*4) ”Декларация《Мирового расцвета》”, in Zhizn iskusstva, Petrograd, 1923, No.20, pp.13-15.
(*5) ”Основных положений аналитического
искусства”, 1923?, the manuscript of which is in TsGALI, f.2348, op.1, ed. khr.10.
(*6) ”Идеология аналитического искусства” Каталог
Русского Музея,1930, pp.41-42.
(発表:「平成5年度修士論文要旨」東京芸術大学大学院美術研究科、1994年、p.6-7.)
1994年1月