Learning from the classics, expressing the contemporaries, and deepening the plastic thinking in the process of drawing. Toshiaki Shibata is the sharp-eyed artist who pursues sophisticated figurative expression through capturing the essence of the figure.
2020.08.11
近世・近代絵画における色彩表現と日本の現代絵画について
先日、国立西洋美術館で『ロンドン・ナショナル・ギャラリー展』を観て、日本の現代絵画について少し思うところを書きましたが、その続きです。
絵具をパレットで混色して塗った色は、減法混色といいます。その混色過程は完全に物理的なもので、眼の外部で混色された結果としての色光が目に入射して色として認識されるものです。
それに対し、ハッチングやスカンブリングで絵具を重ねたり、モザイクや点描で色を並べて描く場合、遠目には細かな色の粒が響き合って別の色に見えるのですが、これを中間混色(並置混色)といいます。個々の色を示す色光は物理的には別個に目に入射するのですが、眼(および脳)において生理的に混色されて認識されるものです。
人間の脳が認識する色が最終的に同じであっても、より複雑な色の響き合いで生まれた色の方が美しく感じます。そして、その複雑さはその度合いを調整することができるため、差をつけることが出来るのです。
同じ色でも、単調で差がない場合、どうしても作り物っぽく見えてしまうし、空間や質感を描き分ける手立てが、その分少なくなってしまいます。
ルネサンス期の近世西洋絵画では、見た目には固有色中心の明暗のグラデーションでしたが、顔料や展色剤の制約から、混色よりも重色による視覚混合が優先的に行われました。
印象派以降の近代西洋絵画では、明暗のグラデーションよりトーンで捉えることを重視し、混色を行いましたが、画面上で様々な色を並置することで視覚混合を行いました。
現在、我が国の「写実系」具象絵画に比較的多い表現は、固有色に近い色を混色で作って、絵具を緩くぼかしながら明度段階をグラデーションして描くやり方です。眼の外で物理的に混色するこの方法だと、色調は単調となり、タッチを殺した画面は変化を弱めてしまうので、ヴァルール表現に不利となるため、空間表現が弱くなりますし、画面が均質化するので質感も弱くなってしまいます(「オートマチック系」はそもそも色彩が形や空間と関連していないので、ここでは省略します)。
結果的に、銀塩写真に近い表現は出来ますが、色彩感はグラビア印刷(減法混色と中間混色の併用)に劣る状態になってしまいます。
現在我が国で主流の具象絵画は、ある意味、ルネサンス期の絵画の良いところと、印象派以降の近代絵画の良いところを捨て去り、欠点を組み合わせたような状態で描かれた作品が多くなっている気がします。
勿論こういう作品があって良いし、それを好む人がいても良いのですが、この現象の原因が、教育にあるのだとしたら?
これまで先人たちが積み上げてきたものを、継承していく人が誰も居なくなってしまう可能性を危惧しております。