1997.02.16柴田俊明制作ノート(1994年8月-97年2月)

1986-87
この時期の作品は,アクリル樹脂絵の具で下地を施し,テンペラ(卵もしくはカゼイン)で中間層を造り、油彩で仕上げるという手の込んだ作業をしていた.水性地のキャンバスに,主にモデリングペーストで厚く塗られたアクリル下地が強く食いつき,上層の油彩を吸い込む構造になっているため,「乾いた画面」を造ることに成功している.この当時,素材的・技術的にイタリア・ルネサンスの壁画,主にボッティチェルリのフレスコ画に強く惹かれていた.そのため,その乾性の画面を目指していたのである。

1987-88
乾性の画面をより追求して行くために,色彩的には劣る素材ではあるものの,思い切ってアクリル樹脂絵の具に一本化した.アクリル独特の色味を嫌い,なるべく古典的な顔料で製造された絵の具を使用するように心がけた.さらに,生々しい,浮いた色彩を押さえる意味で,チタニウム・ホワイトやジェッソ,モデリングペーストといった白い素材を展色材に顔料を加え,独自の中間色を調合した。

1989-90
作品「ナルシストの憂鬱」シリーズの頃より,ロシアの作家フィローノフの影響があらわれる.独自の中間色による描写は,アクリル絵の具のマイナス点である原色の派手さや中間色の鈍さを克服し,一定の評価を得たが,画面の全体的な弱さという問題点を生み出した.この点を克服するための新たな方法論として用いられたのが「色面分解・統合」による技法である.自分自身の最も好む配色を基準に,その明度差,彩度差,色相差やトーンなどを数値化し,そこから必要な色を基準に配色を決めていくような計算を行って行く.さらに,色面を強く結びつける意味で,カドミウム・レッド・パープルを使用した線描でそれぞれの色面を分割する.色面の境界線が入ることにより,色面の一つ一つの形態が露になるため,いい加減な形態の決め方はできない.これらの色面一つ一つを一単位とした形態が,それぞれ有機的に結びつくように,色彩同士だけではなく,形態の関係性をも思考することになってゆく。

1991-92
色彩と形態のコンフリクトから生み出される新たなイメージ,それがこれまでの「色面分解・統合」の最も優れた点であると考える.しかし,新たな問題点として,二次元的イメージが強くなり,空間性が単調にみえるという欠点があらわれた.また,分解によって密度性は増すが,いわゆるデジタルイメージが強調され,「有機的」な,生き生きとしたイメージ,生命感が損なわれてしまうのである.空間性の克服のために用いた手段として,いわゆる線遠近法的空間表現を用いず,色面性を生かす意味で,大和絵的な空間表現を研究した.「ふたつの自画像と都市」のような,異なる要素の結合,例えば自画像ふたつと俯瞰した都市風景,が生み出す「超」空間性は,作品のコンセプト,内容に対して決定的イメージを与えてしまうため,今後,より入念なエスキース作りが必要となってくる.色彩や形態の工夫といった,描画の段階以前の時間を長くとるようになってゆく.「思考の風景」以降の作品は,制作時間の半分はエスキース造りやアイデアスケッチなどに費やされることとなった。

1993-94
デジタル・イメージの打破のために考えられた方法はふたつある。
まず,分解のみの作業が「自動作用」となってしまうことが,分解と同時に行われるべき統合をおろそかにしてしまっているのである.そこで,前述の色彩の関係性は,それぞれ二つないしは三つの色面を結びつけるに過ぎないわけであるから,全体を強く関係させる糸として用いられるカドミウム・レッド・パープルの線描の入れ方に工夫することが第一点である.この線は,あくまで最初は色面と色面の境界に引かれるものであり,作業性が強かったといえる.その上,色面の形態がうまくいっていないと,そのことを強調してしまいかねない.そこでこの線描は,色面の境界に引かれるという限定をせず,あくまでモチーフやモデルの形態の一部として,「生きた線描」であることを最優先させることとした.このことは,塗り絵的イメージを取り払うことにもなる。
もう一つの方法は,「透層」である.グラッシによって得られる効果のひとつに「全体性の統一感」が挙げられる.それぞれの色みは弱まるものの,有機的結びつきは強まるのである.この方法の欠点である,透層の下の色みが鈍くなることを防止するために,強い色みの必要な部分にヤスリをかけることで,部分的に透層をはがすことを試みた.これは小品には大きな効果があった.しかし,100号位の大作になるとあまりその効果は生まれなかった.それは,あくまで表面的な,細やかな処理であって,大きな色面を生むことはなく,画面上のインパクトをかえって弱めてしまうのである.だが,災い転じて,というか,「裸婦のいる風景( empty eyes )」のようにそれが長所となった作品もあった。

1995-97
ひとつの形態の位相,そして複数の形態の転位.それぞれの形態の重なりが生み出す多重性.より一層の色彩感の充実と,リズム,ハーモニーを追求した作品を求めるようになった。

1994年8月-97年2月
(発表:1997年東京藝術大学博士後期課程研究発表展)

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