2002.11.01口頭発表『報告「フィローノフへのオマージュ/ サンクト・ペテルブルグにおける 個展とフィローノフ 探訪」(発表要旨)』
報告「フィローノフへのオマージュ/ サンクト・ペテルブルグにおける 個展とフィローノフ 探訪」(要旨)
柴田 俊明
私は2002年5月15日より6月3日迄の間、ロシア連邦サンクト・ペテルブルグ市(*1)の画家、オレッグ・コテーリニコフ(*2)氏の招きにより、サンクト・ペテルブルグの画廊、ナビキュラ・アルティス(*3)において個展を開催する機会を得た。その際、コテーリニコフ氏及び国立ロシア美術館の厚意によって、ロシア美術館に収蔵されている、ロシア・アヴァンギャルドの重要な作家のひとりであるパーヴェル・ニコラエヴィチ・フィローノフ(1883-1941)(*4)作品を特別に観覧することが出来た(*5)。
1994年、東京芸術大学大学院において修士論文としてフィローノフの絵画理論研究を行った。そこでは、主にフィローノフが残したマニフェスト(*6)を分析することを中心に研究を進めた。フィローノフ絵画理論である「分析的芸術」に関して、先行研究のボウルト(*7)によるフィローノフ研究の問題点を解明することから始まり、フィローノフの主要なマニフェスト4篇を分析、彼の「分析的芸術」の主要概念を明らかにすると共に、その哲学的基盤を立証することが中心となった。作品分析もおこなったものの、資料からの分析にとどまり、実際の作品を観て分析することが出来なかったことが研究の不十分さに繋がった。今回の訪露でフィローノフ作品を観ることが出来たことで、作家の立場でフィローノフの作品と理論を明らかにするという、本研究の目的を深めることが出来たと思う。
かつて旧ソ連では、フィローノフは勿論、ロシア・アヴァンギャルドそのものが、正当な評価を受けていなかった。しかし今日では、ロシア美術館を中心に、フィローノフ始めロシア・アヴァンギャルドの研究が急速に行われているようだ。特にフィローノフにおける評価は、非常に高まっているといえよう。ロシア美術館の学芸員、オリガ・シヒリョーヴァ(*8)氏によれば、フィローノフは20世紀ロシア美術の代表的な画家と言えるまでにその名誉回復がなされているようだ。今回、私の個展を開催した画廊、ナビキュラ・アルティスのオーナーの一人、グレッブ・エリショフ(*9)氏もフィローノフ研究者の一人である。
「フィローノフへのオマージュ/柴田俊明展」は、二週間で約700人(*10)の来場者があった。また、現地のテレビ、ラジオ、新聞、雑誌等の取材があり、各種メディアに取り上げられる。このことは日本で考えたら大層なことであるが、ロシア、少なくともペテルブルグでは、美術展がテレビのニュースで紹介されるのは日常であり、子供の頃から美術館に行くことが普通のことになっている(*11)彼らにとっては普通のことのようであった。他にも、IAAカード(*12)の提示で、私は全ての美術館を無料で観覧出来、作品搬送に関しても優遇される等、この国の文化に対する姿勢を体験的に知ることが出来た。
今回の発表では、ロシアでの個展を通して得られたロシアでの美術事情の一端や、ロシア美術館等での取材・調査の成果、特にフィローノフを含めたロシア・アヴァンギャルド作家の作品を画像で紹介すると共に、現時点での考察をお聞きいただければ幸いである。
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註
(*1) Санкт-Петербург. / Saint-Petersburg. サンクト・ペテルブルグ;ロシアでは首都モスクワに次ぐ第二の大都市。1703年にピョートル大帝によって建設される。1712~1918年にはロシアの首都。1914年までサンクト・ペテルブルグ(通称ペテルブルグ)、1914~24年ペトログラード Петорофрад / Petrograd と呼ばれたが、革命家レーニンの死を記念してレニングラード Ленинград / Leningrad と改称。1991年に最初の名称に戻り、現在に至っている。
(*2) Котельников, Олег. / Kotlnikov, Oleg. オレッグ・コテーリニコフ;サンクト・ペテルブルグの画家、詩人。ミュージシャンから転身した。旧ソ連時代末期にいわゆる「ソッツ・アート」の美術家たちの一人に数えられるようになった。現在はペテルブルグ文化人の中でもある意味象徴的存在となっている、かつての反体制芸術家の活動拠点であった、「プーシキンスカヤ10」という建物のメンバーの一人。彼らはロシア政府から、そこに生涯無償で暮らす権利を保障されているという。
(*3) Navicula Artis ナビキュラ・アルティス;かつての反ソ芸術家たちの拠点、「プーシキンスカヤ10」内にある画廊の一つ。美術評論家アンドレイ・クリュカーノフ氏、グレッブ・エリショフ氏が運営している。
(*4) Филонов, П.Н. / Filonov, P.N. パーヴェル・ニコラエヴィチ・フィローノフ;1883年モスクワ生まれ、97年にペテルブルグに移住、活動の拠点とする。1910年頃から頭角をあらわし、13年にはマヤコフスキイの悲劇「ウラジーミル・マヤコフスキイ」の舞台装置を手掛けた。25年には「分析的芸術工房(МАИ/マイー)」を結成。1941年、ドイツ軍包囲のレニングラードで死去。
(*5) 国立ロシア美術館収蔵庫への入室に関して、副館長エヴゲーニャ・ペトローヴァ氏の要請により、学校法人武蔵野美術大学設置校・武蔵野美術学園に公式依頼状を作成して頂いた。
(*6) манифест. / manifesto. 宣言文、声明書。
(*7) Bowlt, John. E. ジョン・E・ボウルト。1943年ロンドン生まれ、バーミンガム大学、セント・アンドルース大学に学び、モスクワ大学留学経験あり。テキサス大学スラヴ言語学科教授となってからも、米ソの文化交流プログラムに従ってしばしば訪ソ、ロシア・旧ソ連の最新の情報・知識の収集を一貫して続けている。テキサス州ブルー・ラグーンの近代ロシア文化研究所の所長として二十世紀ロシア文化の研究・紹介の事業を推し進めている。
(*8) Шихирёва, Олга. / Shikhireva, Olga. オリガ・シヒリョーヴァ;国立ロシア美術館のキュレーター。フィローノフの専門家。
(*9) Ершов, Глеб. / Ershov, Gleb. グレッブ・エリショフ;ペテルブルグの美術評論家、キュレーター。ペテルブルグ国立大学で教える。フィローノフ研究の論文多数。
(*10) 二週間で約700人が訪れたのは、私の12回の個展経験の中では1997年の芸大陳列館に次ぐ入場者数であった。
(*11) エルミタージュ美術館やロシア美術館では、小学生から大学生まで、教員に引率されて観覧する姿を何度も目撃した。また、企画展の初日にはマスコミが取材に訪れるようだ。
(*12) 国際美術連盟(International Association of Art)発行の国際的美術家の身分証明書。
2002年11月 東京芸術大学美術教育研究会・第八回研究大会にて口頭発表